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 卒論の為に、昔作ったレジュメを見ながら構想を練ってました。ふとその時、目に入ったのがゼミに入ったときに出された課題です。
 20作品読んで、その作品毎に原稿用紙1~2枚にまとめて提出するという課題でした。課題はきっちりやったのですがめんどくさくてお蔵入りしてしまった数々の書評もどき達

 せっかくのブログなので、このかわいそうな日の目をみることのない書評もどきに光りあれ

 第1回書評もどきは、江国香織さんの『号泣する準備はできていた』です。この作品は個人的に大好きですが、この作品で直木賞受賞というのは不に落ちません。

 短編での直木賞受賞というのは、めずらしいというのもありますがそもそも文学賞というのは、その作家の作品とこれからの可能性に与えられるものだと思います。

 その観点で見たときにこの『号泣する準備はできていた』には、江国香織さんの新たな可能性も示されていないし、江国作品の中で特別優れたものだとは思えません。

 つまり、業界のビッグネームになった江国香織さんに賞をあげる為にたまたま時期的にちょうど良かったこの作品が受賞することになったのではないかという見方ができるわけです。

 それでは、約2年前に書かれた書評もどきを公開します。
 

『号泣する準備はできていた』江国香織 2004年1月6刷新潮社

〈あらすじ〉

自分の弱さを好きな人に見せることが出来なかった女性の優雅な失恋からの立ち上がりかたを詩のような流れるような文章で描かれた短編。

〈登場人物〉
 文乃 旅行が好きで決まった職にはつかずに、旅行を繰り返している。周囲 からは強い人と思われている。
 なつき 文乃の姪っ子。バイオリンを習っている。
 隆志  文乃と旅行先で知り合い、同棲をしていた。

〈作品について〉

こんばんわ。こちら馬なりラスト3はろんをやっているダイドウと申します。もしよろしければ馬なりつながりということでリンクをはって頂けませんか?これだけ名前が近いと偶然とは思えない運命を感じてしまうので…

 
江国の作品はよく詩の様に美しく、光を帯びた文章と評される。
このような、抽象的な評されかたはどのような所からきているのか・・・、その理由は江国の感性からきていると思っている。
 江国の文章を読んでみると、小学校の低学年などの子供が書く文章に似ているのである。
文章そのものというよりも表現に共通するところがあるのではないかと思う。
 人は、成長するにつれて物の見方や、考える枠組みも決まってきてその中で過ごすようになり、知らないものは知らないで済まし、知っているものはこうあるべきであると決め付けてしまう傾向にある。
子供は知らない物を、自分が知っているものに置き換えて表現しようと試行錯誤を繰り返す。江国の表現にも同じような姿勢が見受けられるのである。
 本作品も読者によって十人十色の感想を抱くだろう。
最初に読んだ時に意味がわからず何回も読み返したが特に文学的な意味を見出せず、詩の様な作品もあっていいのではないかと思い、表現だけを楽しんで読んだ。

 文責ナカモ
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