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 こんばんわ。今日は雨ですね。なんだかジメジメとした気分になってしまいます。こんな日には太宰治がピッタリです。

 そんな訳で今回の書評もどきは太宰治の人間失格です。これはいろんな人に読み継がれている名作なんで説明は不要です。


『人間失格』 太宰治 1990年11月25日 
〈あらすじ〉


 自伝的手記を書いた27歳のモルヒネ中毒者。少年時代は道化としての優等生を演じ、その後に俳人同様の生活を送る。人間に対する恐怖と不信その狭間で愛情と信頼とに引き裂かれて生きる人間像。デカダンスなムードの漂う文体で語る。

〈登場人物の紹介〉 
 大庭葉蔵
 自伝的手記を書いた27歳のモルヒネ中毒者。自分の人生に対して道化の意識と罪の意識とを抱いて生きている。又は、生かされているというほうが適切かもしれない。

 渋田
 骨董商を営んでいる。葉蔵からは、ヒラメとあだ名をつけられる。葉蔵の後見人みたいな役割をしている。
堀木正雄
 画学生。インテリぶった生活を送っている。葉蔵の遊び友達。

 ヨシ子
 葉蔵が結婚した純粋な少女。

〈作品について〉 
 この作品は著者の自伝的小説ということで、主人公の言動は作者の心の投影という前提で書かしてもらうが、太宰治にとっての悲劇は、他の人間と違う心を持って生まれてきたことではなくて、自分の心の闇を明確に自覚して、周りとの違いに気付いて自己を決定付けてしまえるだけの繊細で聡い心と客観性を持っていたことだろう。
 
 これに付け加えると、彼はそれを受け入れるだけの強さというか、傲慢さが無かったわけである。現代の社会なら、太宰と似たような症状を持った人間は珍しくはない気がする。
というより、中学から高校にかけての、いわゆる青春時代には、誰しもが太宰と似たような想いを抱いたことがあるはずだ。 これは、自分は他人とは違う、特別な人間なんだと思いたい虚栄心から生まれてくるものなのだと思う。少なくとも、最近まで自分にはそういう気があった。
 
 太宰は、生まれたときから自分は人間失格だと思ってきたようなので、単なる虚栄心とはもちろん言えないが、彼が生涯子供じみた心を持っていたことは、彼の他の作品を読んでみれば分かると思う。そしてこの作品にも、そういう子供っぽさは感じられる。
作者の心中を無視して主人公の行動だけを見てみると、それはそのまんま子供のようである。たしかに彼の心には闇があったのだろうが、その根っこにあるものはやはり子供心なのだろう。そして、それを余すことなく書ききるだけの才能を彼は持っていたわけである。

 あとこのブログは一応競馬ブログなので、G2阪神Cの予想でも
いまのところの注目馬はコートマスターピースです。
 この馬はわざわざ海外から来て、マイルCSとこの阪神Cの両方を視野にいれた遠征だったわけですし、騎手も2週連続重賞を制覇しているペリエです。ここは複勝圏ははずさないのではないかと思ってます。

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 卒論の為に、昔作ったレジュメを見ながら構想を練ってました。ふとその時、目に入ったのがゼミに入ったときに出された課題です。
 20作品読んで、その作品毎に原稿用紙1~2枚にまとめて提出するという課題でした。課題はきっちりやったのですがめんどくさくてお蔵入りしてしまった数々の書評もどき達

 せっかくのブログなので、このかわいそうな日の目をみることのない書評もどきに光りあれ

 第1回書評もどきは、江国香織さんの『号泣する準備はできていた』です。この作品は個人的に大好きですが、この作品で直木賞受賞というのは不に落ちません。

 短編での直木賞受賞というのは、めずらしいというのもありますがそもそも文学賞というのは、その作家の作品とこれからの可能性に与えられるものだと思います。

 その観点で見たときにこの『号泣する準備はできていた』には、江国香織さんの新たな可能性も示されていないし、江国作品の中で特別優れたものだとは思えません。

 つまり、業界のビッグネームになった江国香織さんに賞をあげる為にたまたま時期的にちょうど良かったこの作品が受賞することになったのではないかという見方ができるわけです。

 それでは、約2年前に書かれた書評もどきを公開します。
 

『号泣する準備はできていた』江国香織 2004年1月6刷新潮社

〈あらすじ〉

自分の弱さを好きな人に見せることが出来なかった女性の優雅な失恋からの立ち上がりかたを詩のような流れるような文章で描かれた短編。

〈登場人物〉
 文乃 旅行が好きで決まった職にはつかずに、旅行を繰り返している。周囲 からは強い人と思われている。
 なつき 文乃の姪っ子。バイオリンを習っている。
 隆志  文乃と旅行先で知り合い、同棲をしていた。

〈作品について〉

こんばんわ。こちら馬なりラスト3はろんをやっているダイドウと申します。もしよろしければ馬なりつながりということでリンクをはって頂けませんか?これだけ名前が近いと偶然とは思えない運命を感じてしまうので…

 
江国の作品はよく詩の様に美しく、光を帯びた文章と評される。
このような、抽象的な評されかたはどのような所からきているのか・・・、その理由は江国の感性からきていると思っている。
 江国の文章を読んでみると、小学校の低学年などの子供が書く文章に似ているのである。
文章そのものというよりも表現に共通するところがあるのではないかと思う。
 人は、成長するにつれて物の見方や、考える枠組みも決まってきてその中で過ごすようになり、知らないものは知らないで済まし、知っているものはこうあるべきであると決め付けてしまう傾向にある。
子供は知らない物を、自分が知っているものに置き換えて表現しようと試行錯誤を繰り返す。江国の表現にも同じような姿勢が見受けられるのである。
 本作品も読者によって十人十色の感想を抱くだろう。
最初に読んだ時に意味がわからず何回も読み返したが特に文学的な意味を見出せず、詩の様な作品もあっていいのではないかと思い、表現だけを楽しんで読んだ。

 文責ナカモ
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 朝、起きて時計を確認したらまだ午前中もうひと眠りしようかとも思ったのですがせっかくなので起きて活動をすることにしました。最近このブログを見て…、競馬のことしか書いてないよね。
ということに危機感を若干抱き、まだ僕学生だよね。競馬って別にいつでもやろうと思えば出来るんだから学生らしいもっとキラキラした生活送ったがいいよね。的な感じでさらりと文を書いてみました。
うん、これならブログっぽいかもしれない!
これだけだと分量が淋しいので水増しを。
 最近、大学の卒論を書く為に勉強を始めました。そんなにいう程はやってないという噂もちらほらありますが、俺が卒論で扱おうと予定している梅崎春生という作家は昔東大の国文学科が定員割れだった時代に満を持して無試験で見事合格して一度も大学の授業に出席することなくブラブラと毎日お酒を飲んでは酔いつぶれては寝るという生活を続けた偉人です。
その梅崎春生が自身の卒論に選んだのは森鴎外。
 しかし鴎外の作品も全部に取り組むとめんどくさいので自分の好きな作品のみに焦点を絞って参考文献も使わないようにして3日で卒論を書きあげたという逸話を持っています。卒論の口頭試問の時に、梅崎は試問を行う教授のところに行ってまず土下座をして謝ったそうです。

「すいません。適当に論文を書き上げてしまったので何も答えられません」 

すると、教授はこう言ったそうです。

「私は、歌舞伎が好きだからその真似をしなさい。」
 
このようなやり取りを経て梅崎春生は、見事に東大を卒業しました。
素晴らしい逸話を持つ人を真面目に研究(ただ本を読んでるだけ…)するにあたってこのエピソードを知った時に、真面目に卒論に取り組む気力が大幅に減少してしまいました。
文責ナカモ

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2006.11.02 夢?
眠くなって一眠りしてみたところ、不思議な夢を見ました。かなり不思議で印象深いものだったので童話風にしてまとめてみました。
よろしければご覧ください。


星がキラキラと輝いている。その中で僕は一人、ぽつんと体育座り。
この町で一番高い丘から町を見おろす。
町にはたくさんの光が溢れている。そんな光を見ることが僕は好きだ。
光の下には人が存在してそこで生活を営む。つまり光というものは僕が考えるに幸せの象
徴なのだ。
それを見ている時だけ僕は、昔の幸せなトキを思い出す。
家族というものを…
光の下に見えるのは、小さい頃の自分と家族の思い出。
ある日、町を見つめる僕の前から光は姿を消してしまった。
光が消えてしまったからといって僕の生活に支障が出ることはなかった。
人は光のない生活に我慢すれば適応出来るものなのだから…
一日が淡々と過ぎて行く、一ヶ月…、一年…と時間は流れ続ける。
僕は、何の為に…

光のない生活に慣れた頃、僕は光に出会った。
白いブラウスの似合う彼女に。

僕が忘れた黒い傘を電車から届けてくれた彼女。星がキラキラと輝いている。僕らは丘で
町を見下す。光の中に僕は、エプロン姿の彼女が料理をしながら僕と子供ににこやかに話
をしている姿を見ていた。

文責ナカモ


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